よし、引きこもろう。

引きこもって、創作創作ぅ!

“よし、引きこもろう。”

【小説の書き方】「三人称」と「一人称」の境界線とは?

こんにちは。

ファンタジー作家になりたい飛鳥たぐいです。

 

ところで、「一人称」と「三人称」の境界線。

はっきりしていますか?

 

はっきりしているぜ、という方もこれから書くことを読んで、自信がなくなるのではないでしょうか?

ちょっと、混乱させてみたくてこの記事を書きました。

 

大丈夫です。

最後には解決していますよ。

ただ、これは、私個人の見解で、実際のところどうなのかわかりません。

 

「一人称」と「三人称」のことを語っているサイトの記事は探せばたくさんあります。

ですが、これらの中に、私の納得のいくものはありませんでした。

もしかしたら、定義などないのかもしれませんね。

一人称と三人称の違い

まず、基本的な話をしましょう。

 

一人称は「私」、三人称は「キャラクター名」が主語になりますね。

 

小説を書いている方、読んでいる方の多くが、上記の条件をクリアしています。

ですが、これはあくまで、境界線より遠い「一人称」と「三人称」と捉えた場合です。

 

つまり

 

「境界線から遠い三人称」→「境界線に近い三人称」→「境界線」

「境界線」←「境界線に近い一人称」←「境界線から遠い一人称」

 

というものがあると考えたとき、境界線に近くなればなるほど、一人称と三人称の違いというものがわからなくなってしまうのです。

三人称の書き方

ちょっと例を出してみましょう。

あなたは三人称をどのように書きますか?

もしくは、どのような三人称を見ることが多いですか?

 

  1. 主人公は一人。「太郎はけだるさを感じた」と書く。
  2. 主人公は一人。「太郎はけだるさを感じたように見えた」と書く。
  3. 主人公は二人。「太郎は〜と思った」「花子は〜と感じた」など、主人公が入れ替わる。
  4. 主人公は複数人。入れ替わり立ち代わり、もうなんでもあり。

 

1は「背後霊型」と言うそうです。

主人公のみ感情を書く方法ですね。

他のキャラは外見だけで感情は「見えないもの」と判断されるため描写されません。

 

2は「厳密型」です。

感情は見れないはずなので、主人公であっても、心理描写はできません。

あくまで、客観的に「そう見える」というだけです。本当は違うのかもしれません。

やりすぎると「これ誰視点なの?」みたいな文章になります。

「神」とか「天の声」的な納得をしている方が多いです。

 

3は「ザッピング型」と言います。

メインの主人公が入れ替わり、主人公以外は心理描写ができません。

主人公が替わるのは、シリーズごととか章ごととかです。

作家さんやレーベル、ジャンルなどによって、タイミングが違ったりします。

 

ちょっとややこしいですが、1の主人公が二人になっただけと考えてみてください。

主人公が入れ替わると、もともと主人公だった人の感情は「見えないもの」になります。

 

4は「戦記型」と言います。

戦記ものによくある表現だから、そう呼ばれているようです。

これも、1の主人公が複数人になっただけですね。

 

先ほどの境界線を使って表現すると

 

「2 → 1 = 3 = 4 → 「境界線」」

 

となります。

2は、心理描写が一切入っていないので、心理描写満点の一人称から一番遠い場所にあると判断できます。

境界線付近について

では境界線を見ていきましょう。

 

1と3と4は結局は主人公の人数が違うだけで、言っていることは同じです。

ですので、わかりやすく1を見ていくことにします。

 

「太郎はけだるさを感じた」というのが1ですね。

境界線に近くなると、より、心理描写が入るようになってきます。

 

さて、一人称の方はどうでしょうか。

「私はけだるさを感じた」となるでしょうか。

「うわーけだるいよー!」なんて感じに書くこともあるかもしれませんね。

 

主語もなんにも無い状態で、感情を書けるのが一人称の醍醐味です。

ですが、実は三人称でもそれが可能なんです。

 

例を出してみます。

 

***

 

目を覚ました太郎は目をこすりながら、洗面所へ向かった。

鏡に向かってため息をつく。

はぁ〜、今日も仕事か。

彼は、町工場の社員だ。

 

***

 

間に心理描写を入れても、何となく読めてしまいますよね。

これはどういうことなのでしょうか?

一人称と三人称とは?

断言しましょう。

 

「一人称と三人称の境界線はない!」

 

境界線から遠ければ、両者には大きな違いがあるけれど、境界線に近づけば近づくほど、その違いは薄れていきます。

正直、どちらを使っても文章が読めてしまいます。

 

例えば、先ほどの文章。これを「僕」に置き換えてみます。

 

***

 

目を覚ました僕は目をこすりながら、洗面所へ向かった。

鏡に向かってため息をつく。

はぁ〜、今日も仕事か。

僕は、町工場の社員だ。

 

***

 

ね? 読めてしまうでしょう?

境界線に近づいてしまったら、両者の違いありません。

単に「私」にするか「太郎」にするかの違いです。

まとめ

私は主に、三人称で小説を書きます。

ですが、実は境界線に近い三人称だったということに最近気づきました。

つまり、主語を「私」に切り替えるだけで一人称になってしまうアレです。

 

これ、そのまま一人称に使えるじゃん!

と思いました。

 

なんとか納得できる話になったので、今回書かせていただきました。

 

境界線に近づくと、両者は違いがないのです。

でも、境界線から離れたものは、明確に違うものに見えます。

なんだか、グラデーションみたいですね。

 

 

こんな感じで終わりです。

でわでわ〜♪